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  • 2023.03.01

ブラジャーの誕生と胸の膨らみ

小林エリカさんとブラジャーの歴史を辿る旅 Vol.2

ブラジャーの誕生と胸の膨らみ

――短期集中連載「小林エリカさんとブラジャーの歴史を辿る旅」の〈Vol.2〉は「ブラジャーの誕生と胸の膨らみ」です。作家の小林エリカさんとともにKCI(京都服飾文化研究財団)を訪れ、貴重なアーカイブをもとにブラジャーがどのように生まれ、現在の形になったのかを追いかけます。〈Vol.1〉は、ブラジャー誕生前夜のコルセットについて。その後、20世紀初頭に登場したブラジャーの原型「ブラシエール」とは? 今につながるカップ付きのブラは、いつごろ生まれたのかを紐解きます。

KCIギャラリーにて学芸員の石関亮さんの話を訊く、小林エリカさん KCIギャラリーにて学芸員の石関亮さんの話を訊く、小林エリカさん

フランス、パリの女たちが、コルセットで締め上げた細すぎるウエストと決別した後、何を迎え入れたのか。私のブラジャーの歴史を辿る旅はつづきます。

第2話目は、ブラジャーの誕生と胸の膨らみ。前回に引き続き、KCI学芸員の石関亮さんの案内で、コルセットに続く下着の数々を見せてもらった。

まず、はじめに取り出されたのは、白いコットン製の下着。ブラジャーの祖先ともいわれる品だという。胸元にレース模様が施されている素朴なそれは、1910年代、アメリカ、WB(ワーナー)社製のBrassière(ブラシエール)(※1)と呼ばれるもの。その名もフランス語で、胴衣。

コットンのショート丈ノースリーブトップスといった可愛らしい雰囲気であるが、これは胸ではなくて胴のためのものですから! という意思が、その名前からも形からも伺い知れる。よくよく見れば、かの下着の裾部分には紐が数本垂れているのだ。何かと思えば、それはガードルなどと結びつけるためのものだという(ちなみにパンティーストッキングができるのはまだまだ後のことなので、ガーターベルトか靴下留が必需品)。

とにもかくにもまだメインは胴!

なんといってもこれはコルセットのかわりですから、確かに肩に布はかかってはいるけれど、胴に巻く布がゆるくても落ちないようにするためだけのものですから、といった主張さえ感じる。

長らくコルセットで、ウエストのくびれ、胴にばかり注力してきたのだ。

胸はあくまで胴の延長線上にある存在。その膨らみもまた、ひとつのものとして捉えられている。どうやら胸の膨らみがふたつある、という意識そのものが希薄だったらしい。

下着は常にファッションの流行に合わせた形に変容していったのだと知ります 下着は常にファッションの流行に合わせた形に変容していったのだと知ります

次に披露してもらったのは、1920年代のピンクの絹ジョーゼットとレースの下着。見た目はなんだかブラジャーっぽい。絹の肩紐がついたレース製の可憐なつくりで、丈もすっかり短くなっているものの、シルエットは直線的。

1920年代のピンクの絹ジョーゼットとレースの下着

はじめて日本にもやってきたのも、このタイプのものだという。これも欧米では、やはりBrassière(ブラシエール)と呼ばれていたらしい。日本語では、乳バンド。

乳!

ついに胴ではなく乳に注目、である。とはいえ、これはまさに乳バンド、バンドの名にふさわしく、帯に近いかたちをしている。胸の膨らみがふたつある、という意識はやはりないようだ。そもそもこれは、胸の膨らみを出さないために着けるものだったらしく、日本でいうところのサラシ的な感覚だろうか。胸をおさえるもの、というスタイルだったのは、フランス、パリで流行した「ギャルソンヌ」や「フラッパー」のファッション、少年風や女らしい体の線を消したスタイルが流行していたからだとか(※2)。

ちなみに、遡ること1914年、アメリカのメアリー・フェルプス・ジェイコブが特許を取った「バックレス・ブラジャー」(※3)がブラジャーの原型とも言われていており、1910年から1920年代にかけては、乳をめぐるあれこれ新しい試みとデザインがなされたのであった。

アメリカ人女性のメアリー・フェルプス・ジェイコブスが考案したブラジャーの特許書類より アメリカ人女性のメアリー・フェルプス・ジェイコブスが考案したブラジャーの特許書類より

そうして、最後に広げて見せてもらったのは、1930年代のシルクのピンク色の三角形の布を2枚つなぎ合わせ肩紐をつけた形の下着。

1930年代のシルクのピンク色の三角形の布を2枚つなぎ合わせ肩紐をつけた形の下着

ビキニトップなんかとしても可愛く着ることができそう。なにより驚くべきは、三角形の布の数が、しっかり2枚だということ。

果たして、これまでひとつのものとして捉えられていた胸の膨らみ、それが“ふたつある”という事実(※4)が、ようやくしっかり意識されるようになったのだ。

かくして、アメリカでは、ブラジャーの大量生産がはじまる。そうなると体型ごとにサイズを決める必要が出てくる。そのために、ふたつの胸の膨らみに対し、カップのサイズをABCDEF……とアルファベットで規定することになった。胸の膨らみがふたつある、に続いて、その胸の膨らみと大きさまで、はっきりと意識されるようになるのであった。

19世紀末にコルセットを脱ぎ捨ててから数十年。
胴から胸へ。
オートクチュールから、大量生産へ。

それにしても、下着のうつりかわりを見てゆくと、その時々で、社会の理想とされる身体というものが、こんなにもかわってゆくものなのか、と私は思わず感嘆してしまう。

胸だけ見ても、平らがよかったり、膨らんでいるのがよかったり。

私たちはそのたびに、胸をひとつにしたり、ふたつにしたり、押し込めたり、膨らませたりしてきたわけだ。そしてそのひとつひとつは、私たちの、生活や、行動や、社会と、密接に繋がっている。1960年代、フェミニズムを訴えた女性たちがブラジャーを燃やしていたけれど、その意味が、ようやく私にもわかるような気持ちがする。下着を変革しようとすること。
下着ひとつで、私が、社会が、変わる、というのは、それほど大げさなことでもないのかもしれない。

つづく

※1 ブラシエール……19世紀終わりから20世紀初頭、生活様式の変容とともに動きにくいコルセットが時代にそぐわないと廃れ、コルセットは上下に二分化するように。コルセットがウエストからヒップ周りを補正し、それとは別に胸を補正する下着としてブラシエールが登場。初期のブラシエールにはカップがなく、2つの乳房をひとつにしたような形「モノボゾム(単一の胸)」と呼ばれるスタイルが主流だった。「バスト・ボディス」とも呼ばれ、アメリカの下着メーカーがフランス語の「ブラシエール」から自社の商品に「ブラジャー」と名付けたことが定着。

※2 ギャルソンヌ、フラッパー……1920年中頃から流行したボーイッシュなスタイル。フランス語で少年を意味する「ギャルソン」を女性形にした造語。バストやウエストの凹凸をできるだけ抑えた直線的なシルエット、スカート丈も短く、動きやすいスタイルが特徴。女性の社会進出が進み、教養があり、自ら職業に就き、恋愛を謳歌し、髪を短く切ってタバコもくゆらす女性たちが街に溢れるように。この、新しく自由な女性たちは「フラッパー」と総称された。

※3 バックレス・ブラジャー……2枚の台形の布を合わせて胸当てにし、ストラップ、肩紐を通し、後ろも紐だけで結ぶバックレスのタイプのブラジャー。メアリー・フェルプス・ジェイコブが1914年2月12日に「バックレス・ブラジャー」の特許を申請。それにちなみこの日が「ブラジャーの日」として制定された。

※4 “ふたつある”という事実……アールデコ的な1920年代ファッションの反動から1930年代に入るとバストやヒップの膨らみ、ウエストのくびれといった女性的な体の曲線ラインを強調したスタイルが流行。それにより、女性の乳房の形をきれいに見せるということと、乳房の大きさや形には個人差があることが下着のデザインの中でもしっかり考えられるようになった。

次回の〈Vol.3〉「日本でわたしたちのブラ、動き出す」は4/5(水)更新予定です。お楽しみに。

  • 小林エリカ(こばやし・えりか) 1978年、東京都生まれ。著書に小説「最後の挨拶 His Last Bow」(講談社)、「トリニティ、トリニティ、トリニティ」(第7回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞)、「マダム・キュリーと朝食を」(第27回三島由紀夫賞候補、第151回芥川龍之介賞候補)(共に集英社)。他にも、アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした「親愛なるキティーたちへ」、コミック「光の子ども1〜3」(共にリトルモア)など。 主な個展に「最後の挨拶 His Last Bow」(2019年、Yamamoto Keiko Rochaix、ロンドン)、「野鳥の森 1F」(2019年、Yutaka Kikutake Gallery、東京)、グループ展に「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」(2019年、国立新美術館、東京)など。
取材・文・イラスト/小林エリカ
撮影/山口健一郎
構成/梅原加奈
デザイン/WATARIGRAPHIC