• Fashion
  • 2023.04.05

日本でわたしたちのブラ、動き出す

小林エリカさんとブラジャーの歴史を辿る旅 Vol.3

ブラジャーの誕生と胸の膨らみ

――短期集中連載「小林エリカさんとブラジャーの歴史を辿る旅」の〈Vol.3〉は「日本でわたしたちのブラ、動き出す」です。2回にわたり、作家の小林エリカさんとともにKCI(京都服飾文化研究財団)で下着の歴史について貴重な資料と共にお話を伺いました。そこから、ワコール本社にある〈Museum of Beauty〉へと足を伸ばします。ついに、アメリカで誕生したカップ付きのブラジャー。それを、日本のわたしたちは、いつごろ、どのように手にすることになったのでしょうか。小林エリカさんと日本とブラジャーの関係、そのルーツを辿ります。

 コルセットを脱ぎ捨てた女たちは、遂にブラジャーを手にしたのであった。そうして、アメリカで大量生産がはじまったブラジャー……。第3話目は「日本でわたしたちのブラ、動き出す」。ブラジャーの歴史を辿る旅は、最終回、ついにこのわたしが暮らす日本へ。いつ、どんな風に、ブラジャーは、ここへ、わたしのもとへやってきたのでしょう。

KCIギャラリーにて学芸員の石関亮さんの話を訊く、小林エリカさん 貴重な下着の数々だけでなく、収蔵庫には17世紀のドレスから〈ヴィトン〉と〈Supreme〉のコラボバッグまで保管されていました。

KCIで、学芸員の石関亮さんにひと通りのブラジャーを見せてもらい、わたしは大いに満足しながらも、次第に疑問を抱き始めた。

しかし、一体この日本で女たちは、いつ頃からこんなにも日常的にブラジャーをつけるようになったのか。かつて中学生だったわたしは、胸が膨らみはじめるのと同時に当たり前のようにブラジャーをつけはじめた。
以降、ブラジャー売り場の店員さんにあれこれ相談したり、初デートに着けるブラジャーをわざわざ新調してみたり、給料ではじめて買ったレースのブラジャーにひとりでうっとりしてみたり。赤子が生まれてからは授乳でいきなり胸のサイズが変わったりしながらも、現在に至るまで、わたしは日々、それを着け続けている。

ブラジャーの歴史を辿るうちに、気になったのは「今のわたしたちのブラはいつ生まれたのか?」についてでした。 ブラジャーの歴史を辿るうちに、気になったのは “今のわたしたちのブラはいつ生まれたのか?”についてでした。

……とはいえ、大正生まれだったわたしの祖母のブラジャーって、見たことがあったのだったっけ?

日本でわたしたちのブラ、動き出す

19世紀末、日本の文明開化とともに、着物姿の和装だったこの日本でも洋装がはじまり、洋服とともにコルセットやブラシエールもまた、海を越えてやってくる。かくして1920年代、かのブラシエール、乳バンド(ブラジャーの歴史を辿る旅 Vol.2を参照のこと)もまたやってきたのだった。

東京・銀座の街を洋装で闊歩した大正のモダンガールたちは、そのドレスの下に乳バンドを着けていた、ということになる。とはいえ、乳バンドが、ブラジャーが、この日本でも広く受け入れられるようになるのは、まだずっと先、戦後のことになるのだとか。

アメリカでブラジャーの大量生産がはじまったのは、1930年代。日本では、帝都東京は関東大震災からの復興を華々しく遂げつつあった頃。けれどそれはまた、満州事変にはじまり日中戦争、その後、太平洋戦争へと続く時代でもあった。戦争が激しくなるにつれ、金属も物資も、勿論、衣料も不足することになる。とはいえ、そもそも日本の衣料切符にシュミーズやズロースがあろうとも、乳バンドの文字は未だない。

かくして、私はこの日本でのブラジャーを追い求めるべく、〈KCI〉からほど近い場所、ワコールの本社1階にある〈Museum of Beauty〉(※1)を訪れることにしたのであった。というのもワコール、かつての和江商事株式会社こそが、戦後この日本で、ブラジャーを世に広めた会社なのだから。

創業から続く、ワコールの歴史を「見て」「感じる」ためのミュージアム。 創業から続く、ワコールの歴史を「見て」「感じる」ためのミュージアム。 創業以来の代表的なブラジャーを年代別に展示、紹介しています。 創業以来の代表的なブラジャーを年代別に展示、紹介しています。

ガラス張りのワコール本社ビルディング。その一階に、ワコールの〈Museum of Beauty〉がある。展示室の壁に並ぶブラジャーの数々に目を瞠(みは)る。しかしその一番手前には、創業者自筆の原稿と万年筆、そのそばには花のブローチや、ヘアクリップ、模造真珠のネックレスなどの装飾品が飾られていた。

聞けばなんと、ワコール創業者の塚本幸一は、太平洋戦争であのインパール作戦を生きのびた人物だという。その商売のはじまりは、婦人のための装身具を売ることだった。

「平和は、女性が美しくありたいという願望を謳歌できる時代だ」

荒れ果てたこの日本で、女と美のために尽くすための商売をしたい、と願った彼の感慨と決意でもあった。創業日は1946年6月15日。敗戦後、遥か彼方の元戦場から5年半ぶりに復員して京都へ戻ったその日だというから、胸に迫るものがある。商号は近江商人だった父から受け継いだ「和江」商事。のちに、そこに留を加え、和江留、ワコールの名が生まれることになる。

ふと見れば、すぐ隣の展示ケースには謎の丸い物体が並んでいる。何かと思えば、それはアルミの針金を螺旋状に巻き上げたスプリングに綿をのせ布をかぶせた、ブラパットだという。「洋装の女性が目立ち始めたけれど、日本人はバストラインが低く、洋服の着映えがしない。ならば、男性の背広に肩パッドが入っているように、女性の胸にパッドを入れてみてはどうか」ということで、この「饅頭のような物」が、発明されたらしい。

創業以来の代表的なブラジャーを年代別に展示、紹介しています。

ちなみに、ブラパットなる命名は、藤川洋装学院(現・京都芸術大学)学長の藤川延子によるものだそう。ワコールは、ブラパットの生産を独占契約に踏み切った。そうしてブラパットを入れるポケット(パッド受け)つきのブラジャーの開発にものりだすことになる。

展示室には、そうしてつくられた1950年代製のワコールに現存しているもっとも古いブラジャー(パッド受けつき)も飾られていた。そこから、日本のブラジャーの変遷を辿るようにして、時代ごとにブラジャーが並ぶ。ウレタン樹脂素材のシームレスカップブラ、前にホックがついたフロントホックブラ。新しい素材、新しい製法、新しい形……。

はじめは白やベージュ、ピンクばかりだったブラジャーの色バリエーションも、次第にカラフルになって広がってゆく。1990年代「よせてあげて、グッとアップ」のグッドアップブラあたりになると、わたしもはっきり記憶しているものも多い。今やガラスケースの中へ納められた懐かしのブラたちを前に、わたしもこのブラ着けてたわ! と、思わず感慨深い気持ちになるのであった。

自分の身体に一番近いところに着ける下着。

コルセットにはじまり、ブラジャーの歴史を辿ってみると、下着の変化とともに、女たちの生活が、社会が変わることが、はっきりわかる。わたしの身体と社会は、下着を間にはさんで、確実に繋がっている。

ブラジャーの、下着のこれからは、女の、社会の、わたしの、わたしたちの、これからでもある。

未来のわたしの下着を考えることは、わたしの未来を想像して手に入れようとすること。
コルセットから、ブラへ、さらにその先にあるものを、今、わたしは見たい。

終わり

※1 Wacoal Museum of Beauty……ワコールが創業以来、テーマにしている「世の女性に美しくなって貰う」ことを目標に歩んできた歴史を一堂に集めたミュージアム。小林さんが感銘を受けたと語った創業の由来にまつわる資料や、歴代ワコールのヒット商品やTVや雑誌などで展開した広告ビジュアルの展示、女性の身体について科学的に研究を続ける「ワコール人間科学研開発センター」のコーナーなども。

  • 小林エリカ(こばやし・えりか) 1978年、東京都生まれ。著書に小説「最後の挨拶 His Last Bow」(講談社)、「トリニティ、トリニティ、トリニティ」(第7回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞)、「マダム・キュリーと朝食を」(第27回三島由紀夫賞候補、第151回芥川龍之介賞候補)(共に集英社)。他にも、アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした「親愛なるキティーたちへ」、コミック「光の子ども1〜3」(共にリトルモア)など。 主な個展に「最後の挨拶 His Last Bow」(2019年、Yamamoto Keiko Rochaix、ロンドン)、「野鳥の森 1F」(2019年、Yutaka Kikutake Gallery、東京)、グループ展に「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」(2019年、国立新美術館、東京)など。
取材・文・イラスト/小林エリカ
撮影/山口健一郎
構成/梅原加奈
デザイン/WATARIGRAPHIC