2022.10.12

弓道家・佐竹万里子さん/日々の心身の鍛錬が射にあらわれ、美し佇まいになる

弓道家・佐竹万里子さん/日々の心身の鍛錬が射にあらわれ、美し佇まいになる

全身全霊で引いた弓は、私そのものです

「弓道を始めて60年。始めたばかりの人も、十段の人も、射法八節(弓を射る際の8つの基本動作)は同じです。それを省略することなく繰り返し練習するのが、弓道です。ほかの武道は相手が強ければ負けますが、弓道の相手は人ではなく的(まと)。的によって自分の気持ちが乱されるとうまくいかず、的に乱された自分の弱さがあらわれます。

邪(よこしま)な思いがあったら、射に出る。弓道を始めたときに師から言われたことで、それは今でもブレることはありません。

もうひとつ、師匠から教えられたことに、『我を捨てよ』ということがあります。我が強いと、教えられたことを素直に覚えることができません。どんなことも師の教えに対して素直にやってみることが第一で、絶対の信頼をもつことでもあります。

こうして毎日鍛錬を続け、全身全霊で引いた弓は、私の言葉であり、私そのものです。うそいつわりがなく、純粋に一生懸命尽くした結果です。言い換えれば、つくりものではない「そのままの姿」。これこそが、「美しい佇まい」ではないでしょうか。

佐竹万里子さん

「そのままの姿」が「美しい佇まい」とイコールとなるために、どんなことを積み重ねていけばいいのでしょうか。佐竹さんは「気をつけようと思っているうちは、まだまだ」と言います。

「自分の筋肉の中に叩き込み、教え込み、無作為に無意識にできるまで、からだに覚えこませるのが、いちばん大事です。理屈でこうしなきゃと考えているようでは、武道では間に合いません。

そのために、道場だけでなく、家でもできるお稽古はたくさんあります。洗い物をしながらつま先立ちをしたり足首を動かして、腓骨筋(ひこつきん)を鍛えることも、ひとつです。今は椅子中心の生活になってしまいましたが、床や畳で立ったり座ったりすることも、足腰の強さにつながります。スポーツジムに行かなくても、生活のあらゆるところでトレーニングはできるんです。そして、徒手(としゅ)といって、弓と矢を持たずに射法八節の動作を行う練習。骨と筋肉を動かす、射の原点ともいえる動きです。

正しい姿勢、美しさのためにも、呼吸はとても大事です。弓道での呼吸は密息(みっそく)といって、丹田(たんでん)を意識した呼吸です。頭のてっぺんから足の裏まで、ひとつの筒の中を呼吸が自由に出入りする静かなイメージです。腹式呼吸よりもより深く長く、どこにも力を入れず。それも意識することなく行うことが求められます」

佐竹万里子さん

今の時点での精一杯をそのまま見せればいいのです

集中力を養い、全身の感覚が研ぎ澄まされるという密息は、美しい佇まいのひとつのヒントですが、無意識にできるまでには多くの鍛錬が必要そうです。そもそも、呼吸に限らずそれを「意識」すること、「構える」ことは、美しさから遠ざかってしまうのだと佐竹さんは言います。

「自然の理(ことわり)を動作の上に表現したのが弓道です。無理なこと、自然でないことをやっても見苦しいし、自然の理にかなって初めて美しいと感じることができるもの。

日常で人に会う、話をする、試合に臨む…、どれをとっても構えてしまったら、その時点で偽物になってしまいます。美しくないし、つくりものには誰も感動しません。今の時点での精一杯をそのまま見せればいいのです。そのために、その瞬間に真剣に向き合う。それでうまくいかなかったら、悪く出たところを直していく。ふだんの生活で、考え方で、練習で、うまくいかなかったのは何が悪かったのか、人間としてそれでいいのか、振り返ってみることです」

「真善美」が調和して、人の心に響くものになる

「悪いことだけでなく、いいことがあったときでも、振り返って考えることは大事です。たとえば、優勝したことをただ喜ぶだけではなく、勝てた要因もたくさんあるはずです。仲間が一緒に練習してくれたこと、みんなで道場の掃除をやったこと…。そう思うと、『おかげさま』の気持ちもわいてくるものです。

心がきちんとして初めて、佇まいは美しく磨かれます。そして日々の心身の鍛錬が、おのずと射に出て、射品・射格としてあらわれます」

射品・射格 的の上に設置された垜幕(あずちまく)。人の心を映すという意味の「玄鑑(げんかん)」の文字が染め抜かれています。

この射品・射格は、弓道の品格のようなもので、選手権大会では“中り”(あたり)だけでなく、これらも採点の対象となるのだそうです。

そして最終的に目指すのは「真善美」。すべて真理にかなうようになることで、人の心に「響くものになる」と佐竹さんは言います。

「すべてそろってはじめて、人の心に響くものになります。私にとって弓を引くことは人間として真っ当なことを教えてくれます。数年前に大病を患い、もう弓ができないかもしれないと思った時期もありましたが、病気になったことでもう一度、弓を引けるありがたさを感じています。弓を引くのは、私にとって美しく生きることそのものなのです

佐竹万里子さん

美しい佇まいとは、
日々の心身の鍛錬がおのずとあらわれるもの。
つくろうことのない純粋なありさま。

  • 佐竹万里子(さたけ・まりこ) 1947年、和歌山県生まれ。高校で弓道を始める。1967年国体優勝をはじめ、全日本女子弓道選手権大会(皇后盃)最高得点賞9回、優勝3回、2位4回。全日本弓道遠的選手権大会優勝2回、2位4回。
    1998年に全日本弓道連盟評議員、2010年に監事、2013年から2015年まで副会長を務める。1999年より中央講師・審査委員・海外セミナー講師を務め、2020年に再び全日本弓道連盟副会長に就任。
    1993年に日本スポーツ賞受賞。2021年に令和3年度文部科学大臣表彰生涯スポーツ功労者表彰。
取材・文/南 ゆかり
撮影/水野浩志
デザイン/WATARIGRAPHIC

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