異国から届いた貴重な原料を育み慈しむ
お香について知るには、まずはルーツから。そこには、日本文化でありながら意外と知られていない、「美しい佇まい」につながる美意識が息づいています。
「お香の原料のほとんどは、日本では収穫することができません。中国やインド、東南アジアなど広くアジア一帯からの香木(材そのものに芳香を有する木)を始めとする漢薬香料が海を渡り、日本の精神文化とともに育まれてきました。アジアの一員でありながら独自性をもち、その心のありようが継承されてきたのが、日本のお香の文化です。実に日本的だなと思います。だから、異国の人たちの手によって届けられた歴史に思いをはせ、貴重なものとして慈しみながら使う。それが日本の香文化の根底にあるのです」
では、「香り」と「美しさ」の接点はどんなところにあるのでしょうか。
「古典を読んでいると、『美しい』という言葉は出てきませんが、代わりに『香り』『におい』といった表現はたくさん出てきます。お香の香りはもちろん、自然の香り、季節の香りなど、鼻で感じるものから目で感じるものまで、いろいろです。
たとえば、『源氏物語』では光源氏が冷たい風の中で舞ったとき、ポッと頬が紅潮するさまを『におう』と表現しています。そのほか、友禅染では花の中心に赤みを加えることを『におい』と呼び、京都・花背の火祭りでは、最後に入れる火を『におい』と言います。目に映る赤い色をさしているんですね。
このように、歴史を学びひも解いていくことが私は大好きで、そこには、ふだん気づかないこと、現代で忘れていた知恵がたくさんあります。と同時に、今いる自分の位置の確認にもつながります。ただし、時代で区分けされた政治史ではなく、人々の足跡である文化史を見ることが大事です。『温故知新』といいますが、特に『温故』が大事で、歴史の中で自分の位置を確認しつつ、次にどの方向に踏み出すのか、問いかける作業でもあるのです」
情報化社会に求められる「佇まい」は、穏やかさ、丁寧さ、気遣い
デジタル化が進み、ストレスにあふれる現代、私たちは香りとどうつきあっていくのが、よいのでしょうか。
「情報化社会は、デジタル化とともに視聴覚の世界に革命を起こしました。それでも、『におい』はデジタル化することはできないと思っています。原始的な感覚器官のまま享受しているのが、香りです。だから、ふとした香りで古い記憶が蘇ったりするのです。
そして、音や光と違って、香りはあまねく広がる力があります。このような広がり方は、いってみれば『仏の慈悲』や『神様の愛』と一緒ではないでしょうか。それに気づけるかどうかは、ひとりひとりの心のベクトルにゆだねられているのです」
「今、私たちが使っている『美しい』という言葉は、西洋美学の影響が大きいと思っています。それよりも、日本人のみなさんが求めているのは、穏やかさ、丁寧さ、気遣いなど、心にしみる瞬間なのではないでしょうか。気遣いというと難しくとらえられがちですが、私はよく“ポジティブに”気遣いをしようと話しているんです。それは、思っていることをきちんと口にするということでもあります。その点、京都人は案外はっきりしているのではないでしょうか」
そんな穏やかで丁寧な「佇まい」のために、お香が手助けしてくれることもありそうです。
「生活の中で、ひとそれぞれのお香の楽しさを見つけてほしいと思います。古典的なものをそのまま提案することもありますが、それでは新しい生活の中で楽しさは生まれないかも知れません。現代人として、やっぱり新しい提案をしていきたいと思います。そのとき、どんな香りを選ぶかは、人それぞれでいい。一方で、お香そのものは、エッセンシャルオイルなどと違って、元の樹木の素材など香り以外のものもたくさん含んでいる。言ってみれば『不純物いっぱい』なのがお香で、それらを含めて広く受け入れるところがいいんです」
美しさは、
日本人ならではの
穏やかさ、丁寧さ、気遣いなど、心にしみる瞬間
- 畑 正高(はた・まさたか) 香老舗 松栄堂 主人。昭和29年京都生まれ。大学卒業後、香老舗 松栄堂に入社。平成10年、同社代表取締役社長に就任。香文化の普及発展のため、国内外での講演・文化活動にも意欲的に取り組む。アメリカにおいては、20年にわたる文化交流活動に対し、平成16年ボストン日本協会よりセーヤー賞を受賞。京都経済同友会理事、同志社女子大学非常勤講師などを務める。著書に「香清話」(淡交社)、「香三才」(東京書籍)などがある。
撮影/望月みちか
デザイン/WATARIGRAPHIC