今月のコトバ「未練(みれん)」 

今月のコトバ「未練(みれん)」

年末に断ち切りたいものは?

早くも年末になってしまった。2024年の目標はどうしよう。「来年のことを言えば鬼が笑う」ということわざもあることだし、具体的にあれこれ語るのはやめておこうか。何はともあれ、大みそかにそばを食べることさえ忘れなければ、大丈夫なんじゃないかとも思う。なぜなら、年越しそばには、スゴいご利益があるらしいからだ。

年越しそばを食べる理由は、細く長く生きられるように願うためだと思っていたけれど、最近知った由来は、真逆ともいえる別の説。そばは他の麺類よりも切れやすいことから、「今年一年の厄災を断ち切る」という意味があるのだそう。ずるずるとすするだけで、厄災だけが都合よく断ち切られるなんて、魔法のようではないか。

そんなふうに感じたのは、年が明けても断ち切りたくないもの、ずるずると引きずっていたいものが、個人的にたくさんあるからだ。とりわけ今年は夏が長かった。秋になったのはつい最近のことだったような。食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、おしゃれの秋、睡眠の秋など、秋のすばらしさをまだ十分に味わえていない気がする。なのに、いきなり寒くなり、もう年末だよと言われても、夏バテすら回復していないカラダがついていけない。食べ足りないし、読み足りないし、遊び足りないし、着足りないし、寝足りない。要するに、私は2023年の秋に「未練」があるのだった。

未練とは心身をこれから鍛えること

未練というコトバは、執着が残っていてあきらめきれないことを意味し、ネガティブに使われがちだ。辞書の例文を見ても「未練な男と笑われる」(大辞林)、「審判の悪口をいうな。未練がましいぞ」(プログレッシブ和英中辞典)、「彼は別れた妻に未練たっぷりだ」(講談社日中辞典)などとある。コスパやタイパ志向の現代において、未練たらたらな気持ちを引きずるのはカッコ悪いことなのだろう。「もう彼に未練はない」「こんなはした金に未練はない」(ともにプログレッシブ和英中辞典)という具合に、すぱっと潔く断ち切るのが良いとされているのだ。

ただし、未練という熟語自体には、ネガティブな執着のニュアンスはない。「練」には「心身をきたえる、技をみがく」という意味があるから、「未練」とは「まだ、きたえられていないこと」。もともとは「熟練」の反対語であり「未熟」と同義語だったらしい。なんだか初々しいピュアなコトバに思えてくる。

そう、未練は悪いことじゃない。たとえ失恋しても、すぐに「次いこっ!」と切り替えずに、達成しなかった恋の余韻にひたり、くすぶりを心ゆくまで味わってみてもいいのではないか。名残惜しい思い出は、しばらく手放さずにいとおしむことによって成熟した美しい記憶に変化するのではないか。未練とは「未来の洗練」という意味なのではないか、、、(3つ連続の読点は未練がましさを表現するのに効果的だ)

みれんげのあるオトナへ

未練には、客観的に見て「未練があるように感じられる状態」を表す「未練げ(みれんげ)」という派生語もある。たとえば1954年初出の時代小説では、こう使われている。
「その別れようはあまりにみれんげがなく、あまりに凛として非情にさえみえた」(山本周五郎『初夜』より)
ある男が切腹をするのに、妻と幼い子が「簡単な別れの言葉を述べて、すぐに奥へ去った」ため、男の友人が「みれんげがない」=「非情だ」と感じる場面だ。みれんげは、ありすぎると「おとなげ」ないが、なさすぎると「かわいげ」がないのかも。小説の最後にはユーモラスなオチがあり、この妻が実は、非情ではなかったことがわかるのだけど。

いずれにしても「みれんげ」という響きの、なんとチャーミングなことか。寂しげ、涼しげ、物欲しげ、得意げ、不満げ、良さげ、言いたげなども仲間だが、「みれんげ」の愛らしさは格別で、まるで卵白を泡立てて砂糖を加えて焼いた「メレンゲ」のよう。口の中でしゅわっと溶けるこの菓子は、おいしすぎて食べるのをやめられない、、、

というわけで、今年の年末から来年にかけては、厄災を断ち切りつつ、やり残したことに未練を抱きながらみれんげに過ごしてみたいと思う。とりあえずメレンゲを食べ続け、クリスマスが終わってもシュトーレンを食べ続け、年が明けてもそばを食べ続けよう。「正月気分が抜けない」というコトバにも期待が高まりつつある年の瀬だ。

  • 相川藍(あいかわ・あい) 言葉家(コトバカ)。ワイン、イタリア、ランジェリー、映画館愛好家。
    練のつくコトバは、未練のほか「練乳」も好き。ベトナムの定番メニュー「練乳バインミー」を主食にしたいと思っている。
文/相川藍(あいかわ・あい)
イラスト/白浜美千代
デザイン/WATARIGRAPHIC