今月のコトバ「フリル」

文/相川藍(あいかわ・あい)
イラスト/白浜美千代
今月のコトバ「フリル」

フリルのチカラはスゴイ

ファッションに興味がある人なら、「フリル」のことは知っているだろう。三省堂の『大辞林』では、「細い布の片側をギャザーまたはひだにして、他の側を波打たせたもの。切り替え線や縁の装飾とする」と説明されている。わかりやすいのは最後の部分で、要するに「フチの装飾」ってことだ。似た意味のコトバに「へり飾り」「ひだ飾り」「ラッフル」などがある。

フリルがよく使われるのは、洋服の襟、胸もと、袖口、裾など。ドレスやランジェリーとの相性も抜群だから、女性らしさを感じる人もいるかもしれない。しかし、フリルはカーテンや枕カバーにも見られるし、メンズのシャツにもフリル付きのものはある。京都服飾文化財団(KCI)のデジタル・アーカイブスを見ると、ロココ時代の高貴な男たちは、胸もとや袖口にレースやフリルがたっぷりと付いたシャツを着ていたことがわかる。

研究社『新英和中辞典』によると、frill(フリル)には「余分なもの」「ぜいたく」という意味もあるが、フリルの真骨頂は、実用性だと思う。たとえば、年々人気が高まっている「フリル水着」「フリルビキニ」といわれるジャンル。水着のさまざまな部分にフリルを付けることで、肩や腕をスッキリ見せたり、胸もとをふんわり見せたり、ウエストや太ももを細く見せるなど、自在な体型カバーが可能。しかもおしゃれでかわいい! この魅力と安心感を知ってしまったら、フリルなしの水着には戻れないかもしれない。

ファッション小説になったフリル

最近は、葉先がドレスの裾のように広がった「フリルレタス」もよく見かける。食感がよく見た目も華やかなこのレタスに慣れてしまったら、普通のレタスには戻れないかもしれないと思う今日このごろだが、そんなフリルブーム(?)の中、ついに『明日のフリル』(松澤くれは著・光文社)という小説が登場した。一点ものの服をつくるファッションデザイナーの梓振流(あずさ・ふりる)と、大手アパレルブランドで販売員をつとめる五福あやめの出会いから始まるファッション・エンターテインメントだ。

梓振流(あずさ・ふりる)は、フリルという名前をもちながら、なぜかフリルを否定する。「僕はフリルが嫌いだ。フリルってだけでかわいいと決めつけられる。女の子らしさを記号的に演出することに、僕は創造性を見出せない」と。この小説は、彼の発言に隠された真実を解き明かしながら、服をつくることや選ぶことの楽しみを生き生きと描く。ファッション業界の人に絶賛されているようだが、コロナ禍でおしゃれから一時的に遠ざかっていた人々にこそ響くと思う。

物語の中では、人生をかけて服を探しに来る女性もいて、彼女が「ある一着」を試着するときの描写が、あまりにも真に迫っていてジーンとした。著者のあとがきによると、この服は、「ドレスコードー着る人たちのゲーム」展で展示されたズートスーツを参考にしたという。私も、この展覧会でズートスーツに感銘を受けたのでよくわかる。服との出会いは、ときに奇跡を起こすのだと。

7年間の感謝をこめて

2015年の「パンツ」から始まり、カラダやシタギに関するコトバを妄想的に紹介してきたこのコラムも、今回が最終回。少しでもコトバのおもしろさを楽しんだり、考えたりするきっかけになったならうれしく思う。個人的には、白浜美千代さんの大胆で伸び伸びとしたイラストが、毎回ほんとうに楽しみだった。煎じ詰めれば、どんなときでも私たちは自由で、コトバによってどこへでも羽ばたけるということを言いたかったのだけど、拙い文をアーティスティックな表現で補ってくれたことには感謝しかない。

2020年には「マスク」「巣ごもり」「身体的距離」「すっぴん」「おうちウェア」など、コロナ禍らしいコトバも取り上げてみた。私たちの身体感覚は、ここ数年でずいぶん変化したような気がするけれど、いつの時代も、カラダとココロに瞬時にチカラをくれるのは、装うことなのではないかと確信している。とりわけ、最初に肌に触れるシタギという存在の大切さ、ユニークさについては、これからも考え続けたいと思う。7年間ありがとうございました!

  • 相川藍(あいかわ・あい) 言葉家(コトバカ)。ワイン、イタリア、ランジェリー、映画館愛好家。
    疲れたときは、味覚的にも語感的にもベトナム料理に癒される。
    フォー、ブン、ミー、チャオ、ソイ、ラウ……とくにデザートのチェーは最強!