今月のコトバ「愛着(あいちゃく)」
文/相川藍(あいかわ・あい)
イラスト/白浜美千代
肌から生まれる愛
愛着(あいちゃく)とは、なれ親しんだものに深く心を引かれ、大切にしたい、手放したくないと思うこと。語源は仏教語の「愛着(あいじゃく)」で、欲望にとらわれて離れられない煩悩を指すらしい。「頓着(とんじゃく・とんちゃく)」や「執着(しゅうちゃく)」の類語だが、これらの重さに比べると、愛着は無邪気でポジティブでかわいい。
「着」という字が含まれているおかげで、服や下着との親和性がバツグンに高いのも、このコトバの素晴らしさだ。「愛着のある下着」「愛着のあるマフラー」「愛着のあるぬいぐるみ」など、肌に直接触れるモノのここちよさや愛おしさを伝えるのに、これほどふさわしい表現はないだろう。
ところで、愛着が「湧く」には、どのくらい時間がかかるのか。「愛着のある家」「愛着のあるブランド」など、大きなモノになると、この境地に至るには相応の時間が必要な気もするけれど、「愛着のある椅子」「愛着のあるブラ」の場合は? すわった瞬間、試着した瞬間に「これだ!」「手放したくない!」と思うことがあるではないか。あれは間違いなく愛着の萌芽といえよう。「湧く」は、突発的に噴き出る勢いを表すコトバでもある。愛着が湧くのは、運命的な出会いの瞬間なのかもしれない。
愛着が湧く存在とは?
人間への愛着は、恋愛と言い替えることもできそうだ。さっき会ったばかりなのに、またすぐに会いたくなり、ずっと一緒にいたいと思う。恋愛におけるこのような理不尽な思いは、相手に愛着が湧いてしまった証拠だ。ちなみに「愛着が湧く」の類語は、「のぼせ上がる」「入れあげる」「首ったけになる」「ゾッコンになる」「メロメロになる」など。ちょっと心配になるくらいの勢いである。
互いに愛着が湧けば、両思いとなり、時間とともに愛着は深まっていくはず。とはいえ「愛着がなくなる」「愛着が薄れる」という悲しい用法もあるし、「嫌気が差す」という恐ろしい反動もある。これはつまり「飽きる」「もういらなくなる」「うんざりする」「どうでもよくなる」こと。こんな荒んだコトバを使わずにすむよう、愛着を感じた相手は末長く大切にし、相手にとってもそういう存在でありたいものだ。
では、愛着が湧く存在になるには、どうしたらいいか。伊坂幸太郎原作の映画『アイネクライネナハトムジーク』を見て、少しわかった気がした。リサーチ会社に勤める佐藤(三浦春馬)が、就活中の紗季(多部未華子)に出会うシーンがいい。佐藤は、路上でアンケートを依頼した紗季の手もとに「シャンプー」と小さく手書きされているのに気づく。思わず「シャンプー」と声に出して読んでしまう佐藤に、紗季は微笑んで理由を話すのだ。
シャンプーの秘密を共有する
ただそれだけの、たわいない出会いだが、佐藤の中には既に愛着のようなものが生まれてしまい、紗季のことが忘れられなくなる。プライベートな手書きのメモというのは、本来見てはいけないもの。それをいきなり共有してしまったら、特別な気持ちが生まれるのも当然かもしれない。
大事なことを忘れないように手に書いておくタイプの人は、一定の割合で存在し、周囲を翻弄する。伊坂幸太郎は、ショップ店員の手に何か書いてあるのを見て覗きたくなった経験を、原作小説に活かしたそうだ。アテネオリンピックのとき、卓球の福原愛選手の手に何か書いてあるのを見たアナウンサーが「決意表明のようなものでしょうか!」と前のめり気味に実況中継したという歴史的事件もあったっけ(実際は集合時間とバスの時間だった)。
さあ、今日からあなたも手にメモをし、多部未華子の表情をマネしよう。それはまるで小動物のような可愛さで、この人とずっと一緒にいたいと思う相手の気持ちがよくわかった。たぶん、愛着の最強のお手本は、ペットだな。
相川藍(あいかわ・あい)
言葉家(コトバカ)。ワイン、イタリア、ランジェリー、映画愛好家。
好きなイタリア語は「スプーニャ(=スポンジ)」。ずぶ濡れになることを「スプーニャになる」といい、浴びるほど酒を飲むことを「スプーニャのように飲む」という。
からだをスポンジにたとえるなんてカワイイ。