今月のコトバ「右肩上がり」

文/相川藍(あいかわ・あい)
イラスト/白浜美千代

今月のコトバ「右肩上がり」

日本語フォントの衝撃

右肩上がりといえば、グラフの線が右に向かって上がっていくこと。順調な業績の伸びや成長率をあらわす言葉で、身体のバランスの話ではない。肩には「上部の角の部分」という意味があるのだ。私たちは「原稿用紙の右肩」に番号を振ったり「名刺の名前の肩」に書かれた役職を「肩書き」と読んだりしている。

右に上がり気味の文字のことを「右肩上がり」ということもある。とくにポジティブな意味があるわけではなく、単なる文字のクセの形容だが、手書きの機会が減った今、筆跡が話題になることも少なくなった。メールもLINEも画一的なゴシック体で表示されるばかりだし。

いや待てよ、スマホのフォントは簡単に変えられるはず。そう気づいて調べたら、私が使っている機種は6種の日本語フォントが選べることが判明。さっそく「ゴシック体」から「万葉行書」に変えて再起動したら、世界が変わった。瞬時にLINEのメッセージが右肩上がりの筆文字になり、 やりとり自体はガサツでも、驚くほど雅やかな見た目になった。「笑」という漢字ひとつとっても、勢いのある格調高い造形なのだ。しばらく続けてみようと思います。

右肩上がりのフローな幸せ

右肩上がりという言葉には「急激な伸び」のニュアンスもある。ビジネスでいえば、ぐわーっと勢いよく売上げが伸びていくイメージだが、恋に落ちて盛り上がり、幸せ度が一気に高まっていく感じなども、右肩上がりのグラフで表現できそうだ。しかし、そんな状態がずっと続くわけはないし、ひたすら上がり続けるのも、むしろコワイ。「ぐわーっ」は一時的な現象と割り切ったほうがいいのかもしれない。

「フロー」や「ゾーン」といわれる集中状態も、短期的な右肩上がりの幸せ感のひとつだ。アーティストが作品をつくるときや、アスリートが競技に没頭するときにこの状態になるらしく、完全に浸りきっているためパフォーマンスが上がり、時間の感覚が変わるという。具体的にどういうものなのかピンとこなかったが、先日、カンヌでパルム・ドッグ賞(優秀な演技を披露した犬に贈られる賞)を受賞した映画「ディアマンティーノ」を見て、ようやくわかった。

主人公は、クリスティアーノ・ロナウドをモデルにしたと思われるサッカーのボルトガル代表選手。大事な試合で集中態勢に入ると、ピッチ上をスローモーションで走り回るふわっふわの巨大な犬たちが見えて、無敵状態になるのだ。奇跡というのは、超リラックスした幸せなコンディションで起きるのだなと理解できた。以降、私も仕事のパフォーマンスを上げるために、ふわっふわの犬たちを思い浮かべるようにしているが、残念ながら眠くなるばかりだ。

齢を重ねると幸せになる理由

幸福と年齢の関係を調べた研究によると、私たちの生涯の幸福度グラフは、右肩上がりではない。おおざっぱにいうとグラフはU字型で、若いときと老後が幸福で、真ん中がへこんでいる。国によって異なるが、幸福度が最も下がるのが世界平均で44歳だという。その理由のひとつは「叶わぬ夢があると知ること」なんだって! ただし落胆する必要はない。だってその後、幸福度は右肩上がりに上昇していくのだから。

死が近づくにつれて幸せになっていくのは、人間は死の恐怖を受け入れ、ポジティブに生きていけるようにできているからともいわれている。これを「老年的超越」というそうで、80、90、100と年齢を重ねるほど多幸感が高まるらしい。ああすればよかったと悶々としたり、欲求が右肩上がりであるうちは、幸せにはなれないということかもしれない。

身近な高齢者を見ていると、たしかに幸せそうな人が多い。姿勢がいい人も増え、堂々と肩で風を切って歩いていたりする。人生の後半、右肩上がりの幸福度がずっと続くなんて、うれしいではないか。もしも若いうちに引退の肩たたきをされたとしても、肩を落としている場合ではないですね。

相川藍(あいかわ・あい) 言葉家(コトバカ)。ワイン、イタリア、ランジェリー、映画愛好家。
好きなイタリア語は「スプーニャ(=スポンジ)」。ずぶ濡れになることを「スプーニャになる」といい、浴びるほど酒を飲むことを「スプーニャのように飲む」という。
からだをスポンジにたとえるなんてカワイイ。