今月のコトバ「メンテナンス」
文/相川藍(あいかわ・あい)
イラスト/白浜美千代
メンテナンスはプロっぽい
メンテナンス(maintenance)は「メインテイン(maintain)=維持する」の名詞形だから、本来は「メインテナンス」と発音すべきところだが、日本語では「メンテナンス」というカタカナ語が定着している。和製英語に近いけれど、シュッとしたかっこいい響きを持つ言葉だなと思う。略して「メンテ」なんて言ったりするのも、ちょっと可愛い。
メンテナンスは、主に建物やコンピュータの点検や整備の意味で使われるが、最近は人間の髪やカラダにもよく使われる。「ヘアケア」「ボディケア」を「ヘアメンテナンス」「ボディメンテナンス」と言い換えるだけで、何だかとってもプロっぽい印象になるのだ。機械を調整するように、システマチックに髪やカラダと向き合うイメージである。
大塚製薬の『ボディメンテ』は、日々の体調管理をサポートするコンディショニング飲料とゼリーのブランドだが、この「コンディショニング」という言葉や「チューニング」「アップデート」なども、メンテナンスの周辺用語として好まれている。美顔器やマッサージローラー、ドライヤーなどのツールは「美容ギア」と呼ばれ、手軽に携帯できるおしゃれな食べ物はすべて「モバイルフード」。口にするのが照れくさくなるほどクールなワードたちである。これらの言葉は、鍛え上げたカラダによく似合う。毎日のメンテナンス気分を確実に高めてくれるのではないだろうか。
ブラをメンテナンスする男
スーツやバッグ、ビジネスシューズにも、メンテナンスという言葉はふさわしい。では、下着はどうか。繊細でやわらかくプライベート感のある衣類には、どちらかというと「ケア」や「お手入れ」という言葉のほうが似合いそうだ。しかし私は、今年の東京国際映画祭のコンペティション部門で公式上映された映画『ブラ物語』で、例外的なシーンを目撃してしまった。
『ブラ物語』はドイツの男性監督の作品で、アゼルバイジャンの牧歌的な美しい村で撮影された。定年を迎えた実直な鉄道運転士の男が、列車が引っ掛けてしまった洗濯物のブラの持ち主を探し歩く物語だった。女性たちは、とまどいながらも嬉々としてそのブラを試着するが、ぴったりな人はなかなか現れない。つまりこれ、シンデレラのガラスの靴のブラジャー版といっていい。
探し歩く過程で酷使されるそのブラを、ひとり暮らしの鉄道運転士は、自宅で手洗いしたり、干したり、修理したりするのである。自分や家族がつけるわけではないブラのお手入れは、もはやメンテナンスというべきプロ行為。そのやり方(特に干し方)は間違っているようにも見えたが、彼は十分によくやっていたと思う。ある種のプロ意識と愛情を持ってブラと接していたのだ。
ココロの平安を保つ方法
『ブラ物語』に登場する女性たちの国籍は、スペイン、フランス、ロシアなど多彩だったが、言葉の問題はまったくなかった。なぜなら、この映画にはセリフがなかったから。言葉がなくても人々のブラへの思いは伝わるし、字幕が不要な映画は、国境をたやすく越えるだろう。
私たちは、文字を読むのに少々疲れている。たまにはスマホをオフにして、リラックスする時間も必要ではないだろうか。というわけで、スマホをオフしなければならない映画館は、ココロのメンテナンスには最適だと思う。さらに、字幕を読む必要がなければ最高である。
でもまあ、結局は映画の内容によりけりかもしれない。『スマホを落としただけなのに』という映画は、まったくスマホをオフにした気分にはなれなかった。それはそうだ。スマホのせいで平和な日常が次々と破壊されていく恐怖の映画なのだから。ココロのメンテナンスをしたい時には不向きかもしれないが、この映画を見ると「ココロの平安を保つには、まずはスマホのメンテナンスをすべきかも」という大切なことに気付かされるのであった。
相川藍(あいかわ・あい)
言葉家(コトバカ)。ワイン、イタリア、ランジェリー、映画愛好家。
好きなネット用語は「パンくずリスト」。自分が今どこにいるのかを示す階層表示のことだが、ヘンゼルとグレーテルが森で迷子にならないよう通り道にパンくずを置いていったエピソードに由来すると知り、キュンとした。