今月のコトバ「お疲れ」

文/相川藍(あいかわ・あい)
イラスト/白浜美千代

今月のコトバ「お疲れ」

疲れを癒すコトバ

疲れているときに「疲れ」という言葉を思い浮かべると、それだけでどっと疲れる。だが「お疲れ」という言葉はどうだろう。なんだか癒されるような気がするではないか。尊敬の接頭語「お(御)」をつけるだけでずいぶん変わるものだ。「疲れている自分」には「もっとがんばれ」と言いたくなるが、「お疲れの自分」には「よくがんばったね」とねぎらいの言葉をかけたくなる。

「お疲れ」はあいさつの言葉でもある。接尾語の「さま(様)」をつけて「お疲れさま」と言えばより丁寧だ。「お疲れさま」と言われたら、あなたは何と返事をするだろうか。たとえ疲れていなくても感謝して受けとめ、「ありがとう」「あなたもお疲れさま」と素直に返すことをおすすめしたい。「疲れてないよ!」と、ひねりを効かせる人が時々いるけれど、相手を逆に疲れさせてしまうこともあるので要注意である。

仕事の現場では、さらなる丁寧表現の「です」をつけた「お疲れさまです」が定番フレーズだ。まだ何もしていない朝イチに言われることも多く、その真意を深読みすると「ここへ来ること自体が疲れることだよね」「今日もまた疲れる仕事が始まるけど頑張ろうね」といったところか。デートの第一声で「お疲れさまです」と言われたら、その恋は既に終わっているかもしれないが、仕事仲間に言われれば、秘密を共有しているような親密感があってここちよい。

日本語は心が広い

「お疲れさまです」を過去形にすると「お疲れさまでした」となる。「お疲れさまです」よりも耳触りがよく「ああ、終わったんだな」とうれしくなる言葉だ。目の前に冷たい飲みものでもあれば、打ち上げ感はひとしおである。

レストランで友達の誕生日をお祝いしたときのことだ。お店のスタッフがサプライズケーキを用意してくれるなど、一緒に盛り上げてくれたが、帰り際に「本日はおめでとうございました」と過去形で言われたのである。どちらかといえば「よいお誕生日を」と見送ってほしかったが、彼らとしては、今日の仕事を全力でやり切ったという気持ちなのだろう。思わず「ありがとうございました」ではなく「お疲れさまでした」と言いたくなった。

英語では「お疲れさまでした」をどう言うか。「Good job.」「Thank you for your hard work.」など、具体的な仕事の賞賛として表現することが多いようだ。その点、日本語は曖昧で寛大である。たいして仕事をしていなくても、ただそこにいて同じ空気を吸っていれば「お疲れさまでした」と仲間に言ってもらえるのだから。

疲れないファッションの誘惑

「お疲れさまでした」は大人のあいさつである。朝の通勤時間帯のバスに乗ったときにそう思った。運転手さんは丁寧にあいさつをする人で、乗る客には「おはようございます」、降りる客には「ありがとうございました」と声をかけている。制服を着た小学生たちが「ありがとうございました!」と元気に降りたときは「行ってらっしゃい!」と返した。大人がバスの運転手さんに「行ってらっしゃい」と言われたら驚くだろうが、子どもたちにはうれしい言葉だと思う。

子どもたちが降りてしまうと、車内には眠そうな大人たちが残った。ほとんどが通勤の人のようだが、皆、くつろいだラクな格好をしている。いちばんきちんとしていたのは、元気にバスを降りていった制服の小学生たちだったのではないか。唯一、おしゃれな男性がビジネススーツをビシッと着こなしていたが、コーディネイトアイテムはリュックとスニーカーであった。

ファッションのカジュアル化は、環境省がスーパークールビズを提唱して以降、夏以外の季節にも浸透しているようだ。ラクなスタイルは、疲れた大人たちのココロとカラダにフィットしたのだろう。私自身も、つけごこちが快適な下着を手放せない日々だ。やがてバスは終点のターミナル駅に到着し、運転手さんが「みなさま、ご乗車お疲れさまでした」とやさしく締めくくった。

相川藍(あいかわ・あい) 言葉家(コトバカ)。ワイン、イタリア、ランジェリー、映画愛好家。
好きなネット用語は「パンくずリスト」。自分が今どこにいるのかを示す階層表示のことだが、ヘンゼルとグレーテルが森で迷子にならないよう通り道にパンくずを置いていったエピソードに由来すると知り、キュンとした。