今月のコトバ「ほぐす」
文/相川藍(あいかわ・あい)
イラスト/白浜美千代
ほぐす人はやさしい人
「ほぐす」には、主に3つの意味がある。まずは「結んだもの、縫ったもの、もつれたものをほどくこと」。次に「こりかたまっているものを柔らかくすること」。そして「まとまっている食べものを細かくすること」。口当たりのいいコトバだなあと、つくづく思う。ほぐすと聞いただけで何だかほっこりするし、ほぐす人に悪い人はいないと思う。
もつれた糸をほぐすのも、からだをマッサージでほぐすのも、魚の身を食べやすいようにほぐすのも、対象と根気よく向き合い、手を使っておこなうケアの動作。ただし「頭の中をほぐす」ときは、脳みそを手で揉んだりほどいたりするわけじゃない。脳トレなどで柔軟な思考ができるようにするという意味だ。実際、脳トレには脳の血流を良くする効果があるらしく、指一本ふれずに頭の中を柔らかくするマジックといえるかもしれない。
「ほぐす」は「解す」と書く。解という字には、わかる、ばらばらにするという意味のほか、束縛やしこりを取り除くという意味があるのだ。もやもやしていた問題が解決したときの達成感は、まさに頭の中がクリアに晴れ渡るよう。脳トレと同様、ヘッドスパにも脳の血流を良くする効果があるというが、頭皮をほぐされると、あまりに気持ちよすぎて眠くなり、晴れ渡るどころか思考停止状態に陥るので要注意である(私の場合)。
ほぐす店が増えるのはなぜ
スマホのおかげで、わからないことを瞬時に調べられるようになった。昔は、知りたくてもすぐに調べられず、もやもやしたストレスが多かったということか?スマホがない時代、待ち合わせはどうしていたんだっけ?そもそもグーグルマップなしで、どうやって目的地に辿りついていたんだろう?
私たちができることは圧倒的に増えたし、日々、増えている。情報はわかりやすく便利にほぐされ、頭の中もクリアになり、余裕が生まれ続けているはず。だけど、それなのにストレスは減らないし、むしろ、せわしない気がするのはなぜ? 何より「スマホ首」とかいうコリ症状を訴える人が増えているし、近所を見回せば、マッサージやら鍼灸やら整体やら「ほぐす店」が続々オープンしているではないか。
マッサージに行くとよく言われる「ガチガチですねえ」「では、ほぐしていきますね」という2つのコトバは魔法だ。ある時、ためしに友達にマッサージしてもらったら「そこまでコってないよ」と言われてしまった。あのセリフはプロのサービスだったのねと思う。患者としても「ゆるゆるですねえ」と言われたら意気消沈。むしろこちらから「全身ガチガチなんです!」「なんとかしてください!」と少々大げさに訴えたほうが、マッサージは、たぶん楽しい。
ほぐれるは恋に似ている
最近の研修やパーティでは、参加者の緊張をほぐし、コミュニケーションを円滑にするために、簡単なゲームをするのが流行っている。これを「アイスブレイク」というが、緊張を「ほぐす」のではなく、氷のような空気を「くだく」というわけだ。英語の表現って、ストレートで強いなと思う。魚の身をほぐすときも「ブレイク・アップ」と言ったり。痛みをやわらげるときには「キル・ザ・ペイン」。わかりやすいけど、かえって痛そうだ。
その点、日本語のあいまいな表現は、ふわふわと肌にやさしい。「ほぐす」「ほぐされる」もいいコトバだけど、「ほぐれる」という自動詞は、さらにいい。自発的にホロリとくずれるニュアンスがあるからだ。たとえば運命の相手に出会ったとき。視線を交わした瞬間に、身も心もほぐれる感覚が得られることだろう。ビビっときたり、キュンとしたりは一瞬の反応だから、すぐ元に戻る。だが、ほぐれて、ゆるんで、欠落感が生まれてしまったら、もう、その人と一緒にいるしかない。
相川藍(あいかわ・あい)
言葉家(コトバカ)。ワイン、イタリア、ランジェリー、映画愛好家。
好きなネット用語は「パンくずリスト」。自分が今どこにいるのかを示す階層表示のことだが、ヘンゼルとグレーテルが森で迷子にならないよう通り道にパンくずを置いていったエピソードに由来すると知り、キュンとした。