今月のコトバ「パンツ」

文/相川藍(あいかわ・あい)
イラスト/白浜美千代

今月のコトバ「パンツ」

パンツは誤解されている

人前で「パンツ」と言うのは少し勇気がいる。どうしてなのか。
パンツという言葉にはとりたててセクシーなニュアンスもないし、「ショーツ」のような優等生風の気取りもない。語感はポップでかわいいし、字面にいたってはマヌケなほど愛らしい。女性のパンツ限定で使われる「パンティ」に比べたら、恥ずかしいことなんて何もないじゃない。それなのになぜ。

思うにパンツは誤解されやすい。そもそもズボンを指す言葉でもあるわけだし、下着を指す場合も意味が広い。「いや、パンツはパンツでも下着のパンツではなくズボンのパンツ、中でも太ももの脇にポケットがついたパンツのことで...」「いや、パンツはパンツでもがっしりしたパンツではなく繊細なパンツ、中でもお尻が露出したパンツのことで...」などと説明を加えなければならないと想像するだけで、恥ずかしいというか疲れ果ててしまう。だったら最初から「カーゴパンツ」「Tバック」と言えばいいし。

話し言葉のバイブルといわれる『NHK日本語発音アクセント辞典』(NHK放送文化研究所)によると、下着のパンツは「パ」にアクセントを、ズボンのパンツの場合は「パ」「ンツ」のどちらにアクセントをつけてもいいことになっている。だが私の身近には、下着の場合も「ンツ」の語尾を上げるあまのじゃくが確実に存在するではないか。嗚呼。

パンツの数え方

この連載のタイトルは「パンツ一丁」。パンツに一丁をつけるだけで、下着であることが明快になり、着用者のタイプや状況、パンツのディテールまでもが目に浮かぶ。とてもイメージ喚起力の高い慣用句だと思う。好きな言葉なので気に入ってもらえるとうれしいです。

しかしラーメンでも豆腐でもないパンツをなぜ一丁というのか。『数え方の辞典』(小学館)には「ふんどし以外に何も身につけていない状態を口語でふんどし一丁といいます」とある。パンツ一丁はふんどし一丁の進化形なのだ。一丁は、唯一身につけているものを威勢よく強調する言葉。たしかに「パンツ一枚」では普通すぎるし「パンティひとひら」ではエッチすぎる。

パンツ一丁の男は愛される?

私にとってパンツ一丁は、男性への欲望の本質を知るきっかけになった言葉でもある。以前、フランスのメンズブティックがさまざまな年齢とサイズの「生きた男性マネキン」を募集した。彼らは「赤いパンツ一丁」で店内に待機。女性客がパートナーの体型に近い人に試着を依頼し、買い物を楽しめる趣向が日本でも話題になった。ガールフレンドにサイズの合わない服をプレゼントされた経験をもつ担当者が企画したそうだが、女性にウケた理由の説明がよかった。「下着姿の男性を見ると、何か着せてみたいという心理が働くのでしょう」

女は男を脱がすよりも、着せることに喜びを感じるのではないか、と私はそのとき気づいたのだった。これは母性愛だ。某ギタリストは上半身裸で演奏するスタイルだったが、母親に裸でテレビに出るなと言われて服を着るようになったと言っていたしな。女がパンツ一丁の男に熱い視線を注いだとしても、喜んでいるわけではなく、可哀想にと心配しているだけかもしれない。

ただ、フランスのメンズブティックが募集したのは、一般的な体型とルックスの男たちだった。もしもセクシーなイケメン男性ばかりが、赤いパンツ一丁でずらりと待機していたら。脱がされていた可能性も、完全には否定できない。

相川藍(あいかわ・あい) 言葉家(コトバカ)。ランジェリー、映画愛好家。最近いいなと思ったのは、映画「暗くなるまでこの恋を」で妻(カトリーヌ・ドヌーブ)の裏切りに気づいた夫(ジャン=ポール・ベルモンド)が、彼女の下着を次々と暖炉で燃やすシーン。