今月のコトバ「推しブラ」

文/相川藍(あいかわ・あい)
イラスト/白浜美千代
今月のコトバ「推しブラ」

推しは背骨である

「推し」というコトバは一見地味だが、アイドルグループの中でいちばん応援している「イチ推しのメンバー(=推しメン)」の略である。このコトバを改めて世に知らしめたのが、今年、芥川賞を受賞したばかりの小説『推し、燃ゆ』(宇佐見りん著・河出書房新社)。21歳の大学生が書いたこの小説は、若い世代を中心に大きな反響を巻き起こし、「推し活(=推しを応援するための活動)」に熱中するファンの気持ちを理解するために読む人も多いと聞く。

主人公は「推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対」と言い切り、「中心っていうか、背骨かな」と補足する。からだの重要な部分へのたとえが「推し」への本気度を表していると思う。実際、この高校生は、日常生活がままならなくなくなるほど「推し」にのめりこみ、「背骨だけ」になっていく。だけど彼女がライブへ行き、グッズを買い、数多の情報にアクセスし、限定公開のブログ(この内容がすばらしい!)を更新する姿はエネルギッシュで、それは間違いなく「推し」のおかげなのだ。

私の身近にも「推し活」に余念のない人がいるが、「推し」がいるとこんなにも世界は広がり、楽しみが増えるのかとうらやましくなる。「推し」と「ファン」の関係のいいところは、距離が近づき過ぎず、生身の恋愛関係よりもはるかに安定していることだろう。

推しブラのときめき

もちろん「推し」は、人ではなくモノでもいい。というわけで本題の「推しブラ」である。最初にこのコトバを目にしたのは2年くらい前、ワコールウェブストアで開催されていた「推しブラ総選挙」だったと思う。今や恒例のイベントになっているのはうれしい限りだが、ここで注目したいのは「推しブラ」というコトバの自然さだ。「推し活」や「推しメン」と比べても、字面よく、語感よく、意味もわかりやすい。グッドネーミングの条件が揃っており、気軽に口にしたくなる。

たとえば「好きなブラは?」と聞かれると範囲が広くて迷うが、「推しブラは?」と聞かれれば、手持ちのブラたちが思い浮かぶ。実は今、お気に入りの「推しブラ」ベスト3があり、どんな無気力な日も、これらをつけると、おしゃれスイッチが入る。中でもトップ独走中の「推し」は、デザインもディテールも自分好みで、肌に吸いつくようなフィット感が素晴らしい。なんとしても、この子は美しく長持ちさせたいので、特別にていねいに扱ったり、色違いを購入するなどの「推し活」をしているところだ。

しかし、外に目を向ければ「いつか、つけてみたいブラ」の存在も見逃せない。今は触れ合えないけれど、遠くから見て楽しみたいというこの距離感は、まさに「推し」と「ファン」の関係ではないか。このような憧れのブラこそが、本当の意味での「推しブラ」なのかもしれない。

「おす」か「たたく」か

「推す」という動詞なら、広辞苑にも載っている。ふさわしいものとして推薦するという意味で、距離を置いて客観的におすすめする奥ゆかしさがある。一方、音は同じでも「押す」という動詞は、動かそうとして力を加えることだから、少々強引な感じがする。

昔は、力でものを動かす場合にも「推す」と書くことがあり、古い用例としては「僧は推す月下の門」という漢詩が有名だ。作者である詩人は「僧は敲く(たたく)月下の門」のほうがいいかも? と迷ったそうで、この故事が「推敲(すいこう)」の語源となった。結論としては、漢詩の大家が「敲くのほうが、月下に音を響かせる風情があっていいんじゃね?」と詩人にアドバイスしたという。今なら「僧は推す月下のインターホン」か「僧は鳴らす月下のインターホン」かと、思い悩むのかもしれないな。

また、この故事から派生した「月下推敲」という四字熟語もある。「推敲」と同じ意味だが、字面よく、語感もよく、月の光のもとで優雅に文章を練り直すような美しいイメージが思い浮かぶ。「推しメン」を「推し」と略し、「ブラジャー」を「ブラ」と略す時代にはいささか悠長すぎて、使う機会なんてないような気もするけれど、ひそかに憧れている、とっておきの推し熟語なのだ。

  • 相川藍(あいかわ・あい) 言葉家(コトバカ)。ワイン、イタリア、ランジェリー、映画館愛好家。
    疲れたときは、味覚的にも語感的にもベトナム料理に癒される。
    フォー、ブン、ミー、チャオ、ソイ、ラウ……とくにデザートのチェーは最強!