服飾の歴史や文化へ誘う、京都服飾文化研究財団(KCI)広報誌より

服をめぐる

2019年7月24日

文・写真/筒井直子(京都服飾文化研究財団 キュレーター)

BEAUTY

【地産街道を行く⑤】

【モスクワ】

KCIの収蔵品にみられる技法や素材の原点を求め、各地を訪れます。 ポール・ポワレ デイ・ドレス「カザン」 1911-12年 ポール・ポワレ
デイ・ドレス「カザン」 1911-12年
京都服飾文化研究財団所蔵 広川泰士撮影
円筒型の生成りの麻製ドレス。牡鹿や葉の刺繍が愛らしい。1910年代になると、西洋の女性たちはコルセットによって身体を締め付けるそれまでの服から離れ、本品のような快適でゆったりとした服を求めるようになっていく。
「東洋的で幻のような情景―」。1911年、初めてモスクワに降り立ったパリのデザイナー、ポール・ポワレ(1879-1944)は後の回想録にそう記している。18世紀初頭、当時のロシア皇帝は新しい首都をサンクトペテルブルクに築き、欧州化を推し進めたが、700年以上続く古都モスクワはなおビザンチン文化の影響が色濃く残る姿を留めていた。「この都はいまだイコンやクレムリン宮殿、ワシリー寺院(中略)など、夜会の真っただ中にあるようにすばらしかった。」当時、パリ・モードの帝王と呼ばれるほどに名声を高めていたポワレ。彼が残した作品のなかにはロシア文化に影響を受けたものが少なくない。

ポワレといえば、自身が主催した仮装パーティ「千二夜」にみられるような中東やインド、中国などエキゾチックなイメージが取り入れられたファッションを思い浮かべる人も多いだろう。これらは金銀のラメやビビッドな色のテキスタイルに彩られた華美で豪奢なものだった。一方でポワレは、シンプルで素朴な服も制作している。本品もそのひとつだ。生成りの亜麻布でできた緩やかなシルエットのワンピースドレスで、裾に施された赤色の牡鹿や葉の刺繍が愛らしい。このテキスタイルは、ポワレがモスクワを訪れた際に持ち帰ったものとされている。ポワレが惹きつけられたロシアのテキスタイルとはどのようなものだったのか。晩秋のモスクワに、伝統的なテキスタイルを多数所蔵する「全ロシア装飾芸術美術館」を訪ねる機会を得た。

モスクワの中心、クレムリンより3キロほど北上した静かな住宅エリアにこの美術館はある。その名が示すとおり、ロシアの工芸品や民芸品などあらゆる装飾美術を扱う館だ。テキスタイル専門の学芸員、スヴェトラーナ・イスラエローワさんが迎えてくれた。「亜麻布はロシアの特産品なんですよ。特にモスクワ周辺では数世紀にわたって数多くの上質な麻織物が作られてきました。」本品のテキスタイルも艶感があり、滑らかで上質なものだ。同様のテキスタイルはテーブルクロスやベッドカバー、そして服に用いられた。「縁に素朴なレースがつくのも、こういうテキスタイルに多くみられます。」レースや刺繍のディテールの端々に手仕事の温もりを宿しているのがわかる。 全ロシア装飾芸術美術館の外観 全ロシア装飾芸術美術館の外観 地域特有の文様や技法に大きな関心を寄せ、多くのテキスタイルを収集していたポワレ。このトナカイかヘラジカにも見える北方の牡鹿柄にロシアの地域性を感じたのだろうか。牡鹿はロシアではよくあるモチーフだという。「古来より人を悪いことから守るという意味があるんですよ。」抽象化された牡鹿、そして草模様の刺繍の技法はクロスステッチだ。「ロシアでロースピシと呼ばれる技法です。筆跡という意味で書き綴られたように見えるところからきています。」同技法による収蔵品を何点も見せてもらうなかで、圧倒的に赤色の刺繍が多いことに気づいた。「赤は人々が明るい気持ちになる色として好まれてきました。若さの象徴なので、結婚前の女性の服は全身真っ赤なものが多いんですよ。結婚すると赤の分量が減って生成りの部分が多くなります。このポワレのドレスは誰が着たか分かっているんですか?」「ポワレの奥さんのドゥニーズと伝わっています。」「ほらね!」ポワレがそのことを知っていたかは定かでないが、ロシアの伝統が息づいた服をポワレは妻に送ってい たのだった。 モスクワ近郊で作られた19世紀のテキスタイルが展示されている。 モスクワ近郊で作られた19世紀のテキスタイルが展示されている。 「実はこの美術館の前身は当時、こういう刺繍を施した麻織物をたくさん販売していて、有名なところだったんです。ポワレも立ち寄ったかもしれませんね。」 またいらっしゃいね、と見送ってくれたスヴェトラーナさんを背景に、100年前、この場所を後にしたかもしれないポワレを想像して少し胸が熱くなった。

ポワレがモスクワを訪れてから1世紀経ったいま、彼の作品がモスクワ・クレムリン美術館で展示されている。「Elegance and Splendour of Art Deco」展は、KCIが初めてロシアで開催する展覧会だ。1910年代~30年代のアールデコ期のKCIの服飾品が120点、そしてカルティエ社とヴァンクリーフ&アーペル社より当時の宝飾品の数々が貸出された豪華な展示となった。ポワレが目にした時と変わらないであろう「イワン大帝の鐘楼」と「パトリアーシェ宮殿」の1階は現在、企画展示室となっている。そこでウォルト、キャロ姉妹、ヴィオネ、シャネル、ランバンなどの優雅かつ華麗なドレスとともに、3点のポワレの作品が飾られ、観客を楽しませている。「東洋的で幻のような情景」の、この街のなかで。 「イワン大帝の鐘楼」。この1階が展覧会会場となっている。 「イワン大帝の鐘楼」。この1階が展覧会会場となっている。 「Elegance and Splendour of Art Deco」展のロシア語版展覧会ポスター。 「Elegance and Splendour of Art Deco」展のロシア語版展覧会ポスター。 「Elegance and Splendour of Art Deco」展会場風景。画面右の赤のコートはポワレの作品(1923年作) 「Elegance and Splendour of Art Deco」展会場風景。画面右の赤のコートはポワレの作品(1923年作) ※文中の展覧会に関する情報は、『服をめぐる』5号発行当時(2016年11月)のものです。 (文中に出てくる所属・肩書等は、取材時のものです)
© The Kyoto Costume Institute
(KCI広報誌『服をめぐる』第5号 2016年11月発行より)
京都服飾文化研究財団(KCI)

京都服飾文化研究財団(KCI) 京都服飾文化研究財団(The Kyoto Costume Institure, 略称KCI)は、西欧の服飾やそれにかかわる文献や資料を体系的に収集・保存し、研究・公開する機関です。現在18世紀から現在までの服飾資料を約13,000点、文献資料を約20,000点収蔵。それらを多角的に調査・研究し、その結果を国内外の展覧会や、研究史の発行を通じて公開しています。
https://www.kci.or.jp/

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