手袋/東かがわ市

地産街道を行く⑮

取材文/筒井直子(京都服飾文化研究財団 キュレーター)
写真/福嶋英城、成田舞(Neki.inc.)

KCIの収蔵品にみられる技法や素材、来歴を手がかりに、各地を訪れます。

[今回の手がかりとなる収蔵品]

ドレス
手袋
1910〜30年代 欧州製 京都服飾文化研究財団所蔵 成田舞撮影
柔らかいキッド(子山羊革)で手の曲線に沿うよう立体的に作られ、甲の三本線は革の伸び止めと装飾を兼ねている。『彼岸過迄』の「女」が嵌める手袋に似た、手頸から三寸(約9㎝)ほど長いミドル丈。

漱石が描いた女性の革手袋

夏目漱石の長編小説『彼岸過迄』にこんな一節がある。

女は普通の日本の女性(にょしょう)のように絹の手袋を穿(は)めていなかった。きちりと合う山羊(やぎ)の革製ので、華奢(きゃしゃ)な指をつつましやかに包んでいた。それが色の着いた蝋(ろう)を薄く手の甲に流したと見えるほど、肉と革がしっくりくっついたなり、一筋の皺(しわ)も一分(いちぶ)の弛(たる)みも余していなかった。敬太郎は女の手を上げた時、この手袋が女の白い手頸(てくび)を三寸も深く隠しているのに気がついた。

主人公、田川敬太郎が停車場で着物姿の「女」を見かけるシーンだ。手に馴染んだ革製手袋が、謎めいた「女」の佇まいを際立たせている。袂から覗くこの手袋は上図のKCI収蔵品のような形態だったと思われる。欧米で「キッド」と呼ばれる子山羊の薄く柔らかな革を用い、指先までフィットする立体的な仕立てだ。山羊革は日本で入手し難い素材だから、この「女」は舶来の品を嵌(は)めていたのかもしれない。

本作が発表された大正元年(1912年)は一般女性の装いに西洋の要素が少しずつ入り込み、着物にネックレスや洋靴を合わせるなど和洋折衷の装いが流行し始めていた。「女」はいわゆるハイカラな人だったのか…。 一方、「普通の日本の女性」が嵌めるのは絹の手袋とあるが、これは絹のニット製と考えて相違ないだろう。当時、婦人の必需品として百貨店などでよく売れた。そして、ちょうどこの頃から日本で手袋の生産を飛躍的に伸ばした地域がある。香川県の東部、東かがわ市だ。

駆け落ちから始まった香川の手袋づくり

その東かがわ市の白鳥(しろとり)という地区に「香川のてぶくろ資料館」があると聞き、訪ねてみることにした。高松駅から特急列車で東へ約40分、なだらかな山間部や田園地帯を通り抜け、讃岐白鳥駅に降り立った。最寄りにある同館にて日本手袋工業組合の大原正志事務局長が出迎えてくれた。「東かがわ市は現在、手袋国内生産シェアが9割以上もあるんですよ。」と大原さん。最盛期から随分減ったとはいえ、いまも約60社の手袋関連会社が東かがわ市にあるという。一体なぜ四国の北東部のこの地で手袋づくりが盛んになったのだろう。2019年にリニューアルした館内を案内いただきながらその歴史を伺った。

2019年にリニューアルした「香川のてぶくろ資料館」。手袋づくりの道具や材料、詳細な歴史が分かるパネル等が展示されている。
2019年にリニューアルした「香川のてぶくろ資料館」。手袋づくりの道具や材料、詳細な歴史が分かるパネル等が展示されている。

「始まりは明治時代で、両児舜礼(ふたごしゅんれい)という僧侶がきっかけです。明治19年、彼はこの地から駆け落ち相手を伴って大阪へ出ました。そこで生計を立てるため、住まいの隣にあったメリヤス工場から生地を買い、始めたのが手袋製造でした。」メリヤスとは綿糸や絹糸を機械編みした伸縮性のある生地で、殖産興業が推進された明治初期から東京や大阪をはじめとする日本各地でメリヤス産業が興っていた。舜礼はそのメリヤス生地を縫い合わせ、指部分のない手袋を作り販売していたという。

「ところが舜礼は39歳という若さで急死してしまうんです。そこで舜礼の従兄弟の棚次辰吉(たなつぐたつきち)が遺業を継ぐことになりましたが、当時、衰退し始めていた香川の製塩業の従事者を救済するため、大阪ではなく、この地で手袋産業を興そうと村長らと奔走したんです。」明治32年、25歳で手袋製造所「積善商会」を設立した辰吉は欧米各地を視察して手袋製造の技術を学び、後に専用ミシンや測定器など手袋に関する特許を24件も取得している。指先までしっかりと包み込む辰吉の手袋は評判を生み、国内だけでなく海外へ輸出されるまでになった。大正3年(1914年)には、第一次世界大戦中の物資供給難のせいもあり、それまでの輸出量が6000倍に膨れ上がるほどだったという。

明治33 年に棚次辰吉が発明した「新一ミシン」。伸縮性のある素材を縫い合わせることができる。
明治33年に棚次辰吉が発明した「新一ミシン」。伸縮性のある素材を縫い合わせることができる。

大原さんによると、手袋製造の最盛期は昭和45年ごろだったらしい。そのころは市内に250社ちかくも手袋関連会社があったというが、次第に中国製をはじめとする安価な商品に圧され、廃業する会社が相次ぐようになった。「近年は暖冬の影響もあって手袋の需要が減少していますね…。平成8年から売り出した夏用のUVカット手袋は売れてはいますがやはり夏用は生産量が伸びません。今後は単に防寒や紫外線防止といった機能面だけでなく、お洒落アイテムとして定着して欲しいなぁ、と望んでいます。」

手袋づくりを守る―若い世代の挑戦

そんな大原さんや地域の人々の想いは、いま若い世代によって引き継がれようとしている。近年、都市部で人気を集める手袋ブランドの会社を白鳥に隣する引田(ひけた)に訪ねた。

「引田は昔から醤油醸造や漁業でも潤った街なんですよ。」と、江本手袋株式会社の三代目を継いだ江本昌弘さんが教えてくれた。周辺にはいまも豪商の屋敷が並び、漁師町の風情をとどめた古い街並みが残る。そんな引田で同社は昭和14年に創業した。これまでに様々なブランドから依頼を受けて手袋を製造してきたが、昌弘さんは作り手の想いや製品のこだわりがお客さんにダイレクトに伝わるようにと、2018年に自社ブランド「佩(はく)」を立ち上げた。「はく」とは「(手袋を)嵌める」という意味のこの地域の方言らしい。

「佩」の手袋は上質なウール製で、嵌めると手にしっとりと馴染む。そして25色の美しい色展開が目を楽しませてくれる。「手袋製造って機械化できないんですよ。縫製がとても複雑ですから。100年以上、地域の職人たちがその技術を守ってきましたが、最近は海外の安い生産ラインに圧されて…。なんとか職人を守り育て、引田の手袋づくりの文化を継承したいと思っているんです。」ブランド名は「hac」とも書く。「hiketa artisan community(引田職人コミュニティ)」の略だ。

江本手袋株式会社の外観。店舗の奥の工場で手袋製造を行っている。
江本手袋株式会社の外観。店舗の奥の工場で手袋製造を行っている。
「佩(はく)」では手袋のほかにリストウォーマーやストールも展開している。
「佩(はく)」では手袋のほかにリストウォーマーやストールも展開している。

複雑なパーツと熟練の技

手袋は大別して、編み手袋、縫い手袋、革手袋がある。編み手袋は基本的に一本の糸で編み上げる。それに対して縫い手袋と革手袋は、素材のパーツを裁断し、縫製して立体的に仕上げる。同社をはじめ、この地域で作られてきた多くはこの縫い手袋だ。そして使用されるパーツの原型は、辰吉が学んだ欧米にある。立体構成のマチの取り方は18世紀フランスの『百科全書』にも登場し、現在にも引き継がれている。そしてこの製造には細かな熟練の技術と手間が欠かせないのだ。

18世紀後期にフランスで刊行された『百科全書』の「Ganterie(手袋)」の頁。京都服飾文化研究財団所蔵、成田舞撮影。
18世紀後期にフランスで刊行された『百科全書』の「Ganterie(手袋)」の頁。
京都服飾文化研究財団所蔵、成田舞撮影。

熟練の職人による手づくりのぬくもり

同社店舗の奥に製造工場がある。生地の裁断と仕上げを行う江本新一さん、縫製を担う久米繁子さんは共に40年以上のキャリアをもつ大ベテランだ。一連の作業の様子を見せてもらった。まず、新一さんが大きな生地を作業しやすい大きさに大刀で一気に裁つ。編目が歪みやすい伸縮性のあるニット生地だが、裁断線は驚くほど真っすぐだ。さらにバンドナイフ裁断機を使って小さくし、手の形の金型と圧裁断機を用いた「本裁ち」を行う。あっという間に本体、親指、マチが出来上がった。ここまでの新一さんの動作はとてもテンポよく進むのだが、作業中に定規や目印が一切登場しないことに気づく。瞬時に生地の目を読んで正しい位置で裁断する無駄のない動作は、まるで舞踊を見ているかのようだ。

手の形をした金型と圧裁断機を使って手袋の本体、親指部分を生地から切り抜く。マチの部分はバンドナイフ裁断機で切り出していく。
手の形をした金型と圧裁断機を使って手袋の本体、親指部分を生地から切り抜く。マチの部分はバンドナイフ裁断機で切り出していく。

裁断されたパーツが繁子さんの手に渡ると、またもやフリーハンドでの作業が始まった。マチ針を打つことなく、指で押さえる位置を変えながら環縫いミシンを勢いよく走らせる。小指のマチと薬指のマチを縫い合わせ、次に薬指と中指、中指と人差し指…と、どんどん立体になっていく。近づいて見ると縫い代が2ミリもないが、繁子さんの手に迷いはない。「手の水かきの部分もフィットするように立体的に縫っているんですよ。」と昌弘さん。確かに水かき部分は手の甲から手のひらに向かって高くなっている。嵌めごこちのよさはこういう細部にもあったのか…。

繁子さんによると一日に20双の製造が限度だという。複雑で根気のいる仕事なのだ。その後も、裾や縫い代の始末、整形など様々な工程を経てようやく完成する。「ここでは自分も含めて3人で作業をしていますが、工程によっては近所の職人も関わっています。このロゴの刺繍も一つ一つ手縫いなんですよ。」hacというブランド名の由来が改めて心に響いた

生地の際ギリギリのところを勢いよく縫っていく。
生地の際ギリギリのところを勢いよく縫っていく。
指と指の間の狭い水かき部分に高低差をつけて縫う。手の厚みに馴染む秘訣だ。
指と指の間の狭い水かき部分に高低差をつけて縫う。手の厚みに馴染む秘訣だ。
完成したての手袋をつけるとピッタリとフィットし、手を綺麗に見せてくれる。
完成したての手袋をつけるとピッタリとフィットし、手を綺麗に見せてくれる。

冒頭の「女」が嵌めた皺も弛みもない手袋から主人公は目が離せずにいた。今回の手袋は革製ではないけれども、それに引けを取らないくらいに手によく馴染む。そこには先人の発明とそれを引き継ぎつつ刷新する人々の想いと技術があった。そしていま、彼らが生み出す手袋に多くの目が向けられている。

[取材にご協力いただいた企業、団体(敬称略)]
▼ 香川のてぶくろ資料館(日本手袋工業組合)
〒769-2701 香川県東かがわ市湊1810-1
電話:0879-25-3208
http://www.tebukurokumiai.jp/museum/

▼ 江本手袋株式会社
〒769-2901 香川県東かがわ市引田2724
電話:0879-33-3165
https://www.emoto-tebukuro.jp/

(文中に出てくる所属・肩書等は、取材時のものです)
© The Kyoto Costume Institute
(KCI広報誌『服をめぐる』第15号 2020年3月発行より)
  • 京都服飾文化研究財団(KCI)
  • 京都服飾文化研究財団(KCI) 京都服飾文化研究財団(The Kyoto Costume Institure, 略称KCI)は、西欧の服飾やそれにかかわる文献や資料を体系的に収集・保存し、研究・公開する機関です。現在18世紀から現在までの服飾資料を約13,000点、文献資料を約20,000点収蔵。それらを多角的に調査・研究し、その結果を国内外の展覧会や、研究史の発行を通じて公開しています。 https://www.kci.or.jp/

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