トップ 服をめぐる / BEAUTY 【地産街道を行く⑥】【和歌山】

服飾の歴史や文化へ誘う、京都服飾文化研究財団(KCI)広報誌より

服をめぐる

2019年9月11日

文・写真/筒井直子(京都服飾文化研究財団 キュレーター)

BEAUTY

【地産街道を行く⑥】

【和歌山】

KCIの収蔵品にみられる技法や素材の原点を求め、各地を訪れます。 17世紀初期のジャケット 17世紀初期のジャケット
京都服飾文化研究財団所蔵 広川泰士撮影
青の絹糸と金糸、銀糸によるニット。様式化された葉の模様がヨコ編みによって編み出されている。袖部分が取り外された状態でKCIに収蔵された。
いま私たちが身に着けている服の生地は、大きく2つの種類に分けられる。織物と編物だ。織物とはタテ糸とヨコ糸を交差させて織っていく生地のこと。一方の編物は、主に1本の糸でループを作りながら生地を形成していく。編物というと、冬のセーターやカーディガンを思い浮かべるかもしれない。しかし、Tシャツや下着類、靴下も編物だから、私たちが編物を身に着けない日はおそらく一日もないだろう。

KCIが所蔵する最も古い編物の一つに、17世紀初期の西欧で作られた青いジャケットがある。光沢のある細い絹糸をベースに金糸、銀糸で植物柄が編み出された上質な逸品で、裕福な上流階級の人が着たのだろう。豪奢かつ上品な風格が漂う。そして、その細かい編み目からは、棒針で丹念に手編みをした様子がひしひしと伝わってくる。一着を編み上げるのに、長い時間がかかったことは想像に難くない。一目、一目、編目を落とさないように―。

西欧で棒針による編物が広がったのは14〜15世紀で、当初は帽子、手袋、靴下が主流だったといわれる。16世紀になると、イギリスで羊毛の靴下編みが農閑期の内職として奨励された。上質な羊毛の靴下は次第に他国にも輸出されるようになり、生産量の増大が求められた。そうした時代にイギリス人のウィリアム・リーによって考案されたのが、「ストッキング・フレーム」と呼ばれる靴下編機だった。この発明を機に、編物は生産面において飛躍的な進歩を遂げることになる。初期の編機とは一体どのようなものだったのだろう。「ストッキング・フレーム」を原型とする19世紀の編機が全国の博物館等に数台、現存すると知り、そのなかのひとつ、和歌山市のフュージョンミュージアムを訪ねてみることにした。

和歌山城から北へ徒歩10分ほどの商業地域に、フュージョンミュージアムがある。館長の薮田正弘さんと館長代行の池田豊さんが出迎えてくれた。「和歌山は明治以降に繊維産業が発展しました。なかでもヨコ編みの編物は、昭和期に全国一の産地になったんですよ。」薮田さんによると、編物にはタテ編みとヨコ編みがあって、トリコットに代表されるタテ編みは福井がシェアをとり、和歌山はメリヤスといったヨコ編みの製品が主力になったのだという。館内に入ると、一台の古めかしい木製の機械が目に入った。「これがウィリアム・リーの編機を改良して作られた1830年代のものです。」編機の幅いっぱいにヒゲ針がズラリと並んでいて、これで一気に400目が編めるらしい。「この編機を操ることが出来るのは館長だけなんですよ。」と池田さんが促してくださり、薮田さんに実際その編機を動かしてもらった。「チー」という軽い音をたてながらヒゲ針の上を糸が滑り、ものの2〜3秒で一段が編み上がる。驚くほどの速さだ。200年近く前の機械の速度に目を丸くしていると、「これを靴下にしようと思ったら、筒状に縫わないといけないでしょう。今度はそれを全て機械でやりたくなるわけですね。」と薮田さん。19世紀の後も、人々の開発への意欲は決して止まらない。

フュージョンミュージアムの母体は、編機製造会社、島精機製作所だ。現在ではコンピュータ制御によるヨコ編機の世界シェア、トップとして繊維業界では広く知られている。その本社ビルと製造工場がフュージョンミュージアムから南東へ4キロほどのところにある。総務人事部長の藤田紀さんと同部課長代理の松田伸浩さんに案内してもらう機会を得た。「島精機製作所は現在の社長、島正博が一代で築き上げました。これまでに様々な編機を開発してきましたが、島が高校時代(16歳)に作った作業手袋用の二重環かがりミシンが原点なんです。」フュージョンミュージアムで目にした小ぶりの1953年製の編機。それは戦後、内職で手袋を編んでいた母親の作業を少しでも軽減できればと、島氏が開発したものだった。 高校時代(16歳)に島氏が開発した二重環かがりミシン。 高校時代(16歳)に島氏が開発した二重環かがりミシン。 会社を興した1962年から今までに島氏が世界に先駆け開発した編機は数知れない。松田さんに製造工場を案内してもらった。広大な建物のなかに整列した機械が遠く先まで続く。「これがホールガーメント横編機です。無縫製型の編機として開発しました。縫い目がなく、一着まるごと立体的に編み上げることができます。」従来の製法では、袖付けや脇の縫製に手間がかかったり、裁断後の残り生地の廃棄など様々なロスがあった。それを無くすためにはどうすればいいのか。島氏や社員たちの開発が陽の目をみたのは1995年のことだった。KCI所蔵の袖が外されたジャケットは縫い代の始末に苦心の跡がみられる。そうした様々な問題を解消しようと、世界各地で脈々と続けられた編機の開発が、数世紀を経た和歌山の地でひとつの実を結んだのだった。今日では、プラダやシャネルといった有名ブランドの服が島精機製作所の編機から数多く生み出されている。 1960年代、島精機製作所は世界に先駆けた自動編機を次々に開発した。 1960年代、島精機製作所は世界に先駆けた自動編機を次々に開発した。 1995年に開発されたホールガーメント横編機。 1995年に開発されたホールガーメント横編機。 (図作成:坂田佐武郎(Neki. inc.)) (図作成:坂田佐武郎(Neki. inc.)) ホールガーメント横編機から編みあがったものを手に取る。機械編みとは思えないほどの柔らかさや繊細さがそこにあった。空気をはらみながらふっくらと柔らかくからだを包み、動きになじむ。編物の魅力のひとつは、そうした心身が求めるここちよさにある。それは、400年前も今も、そして未来も変わらないだろう。 工場で組み立てられた編機は世界中へ出荷されていく 工場で組み立てられた編機は世界中へ出荷されていく (文中に出てくる所属・肩書等は、取材時のものです)
© The Kyoto Costume Institute
(KCI広報誌『服をめぐる』第6号 2017年3月発行より)
京都服飾文化研究財団(KCI)

京都服飾文化研究財団(KCI) 京都服飾文化研究財団(The Kyoto Costume Institure, 略称KCI)は、西欧の服飾やそれにかかわる文献や資料を体系的に収集・保存し、研究・公開する機関です。現在18世紀から現在までの服飾資料を約13,000点、文献資料を約20,000点収蔵。それらを多角的に調査・研究し、その結果を国内外の展覧会や、研究史の発行を通じて公開しています。
https://www.kci.or.jp/

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