トップ 服をめぐる / BEAUTY 【地産街道を行く③】紋ビロード【市原(京都)】

服飾の歴史や文化へ誘う、京都服飾文化研究財団(KCI)小冊子より

服をめぐる

2019年5月15日

文/筒井直子(京都服飾文化研究財団 キュレーター)
写真/福嶋英城(京都服飾文化研究財団)

BEAUTY

【地産街道を行く③】

紋ビロード【市原(京都)】

KCIの収蔵品にみられる技法や素材の原点を求め、各地を訪れます。 シャルル=フレデリック・ウォルト レセプション・ドレス 1883年頃 シャルル=フレデリック・ウォルト
レセプション・ドレス 1883年頃
京都服飾文化研究財団所蔵
© 京都服飾文化研究財団
ビロードという言葉に何を思い浮かべるだろう。頬ずりを誘う滑らかなドレス。身体が沈みそうな重厚な椅子張りの生地。はたまたケイトウの花や蝶の羽の艶めきを思うかもしれない。かつて織田信長がポルトガルの献上品のなかから真っ先に手にしたのは、ビロード製の黒い帽子だった。伊達男として知られるオスカー・ワイルドは、衣服のなかでもっとも美しい織物だといって生涯それを愛用し続けた。厚みのある独特の質感と美しさを湛えるビロードは、時代を超え数多の人に愛好されてきた魅惑的な織物だ。 ドレスに用いられた紋ビロードの拡大図 ドレスに用いられた紋ビロードの拡大図 後にオートクチュールの祖と呼ばれるデザイナーのシャルル=フレデリック・ウォルト[1825-1895]は、19世紀半ばにイギリスからパリへ渡った。最初に勤めた生地店ではリヨン製の高級絹織物などを扱い、そこで織物にまつわる多くの知識を吸収する。当時、絹織物の一大生産地だったリヨンは、パリで作られる高価なドレスの生地の多くを供給していた。数年後、独立したウォルトは自身の服飾店をたちまち上流階級の女性御用達のファッショナブルな店へと発展させる。リヨン製の重厚なビロードを魅力的に使いこなす術を携えて。

フサフサと起毛したワインレッドの葉とストライプ。それを縁どる細い畝。さらにその周りを埋める絹特有の滑らかな平面。織物の高級感がドレスに優雅な風格を与えている。こうした立体的な織物は西洋ではシズレ・ベルベット、日本では紋ビロードと呼ばれ珍重されてきた。いったいこの複雑な織物はどのようにして織り出されるのだろうか。

これとほぼ同じ手法で紋ビロードを織る工房が今も日本各地に数件残っている。そのひとつ、京都市左京区市原にある株式会社川島織物セルコンを訪ねた。
「ここで織ったビロードは明治ごろに欧米へ輸出されていました。」同社織物文化館学芸員の小栁さんと商品本部技術顧問の徳倉さんがビロード製織の社史を話してくれた。川島織物といえば、初代川島甚兵衛が江戸後期に創業し、帯や緞帳、祭礼幕、宮中の室内装飾など、名品を世に送り出してきた歴史ある織物会社だ。明治期には高い織技術と美しい図案が評判を呼び、欧米の博覧会で賞を多数受賞するまでになった。それを足掛かりに織物の輸出を拡大させる。ビロードもその一つだった。

ビロード特有の厚みは毛羽や輪奈(わな)から成る。それらを作るために針金を一本ずつ横に通して製織していく。あとで針金上のタテ糸を刃物でカットして毛羽立たせたり、針金を引き抜いて輪奈を作る。文様を表現する場合は、輪奈をカットする部分とカットしない部分の両方を巧みに組み合わせていく。ウォルトのドレスはさらに複雑な織りで、サテン(朱子織)をベースの組織としながら、そのうえに文様を形作っている。

「日本では江戸前期から京都で織られていたようです。舶載品のなかのビロードに輪奈をつくる針金が残っているのを見つけ、その製法が知られるようになったといわれています。」一説にモンゴル帝国から欧州にビロードの製法がもたらされたのは13世紀と伝わる。いったん西側へと渡ったその製法は400年を経てアジアの東端へとたどり着いていたのだ。

「輪奈の切り方は欧州と日本では少し違うんです。欧州では織り進めながらときどき輪奈を切っていきますが、ここでは針金をすべて織り込んでから最後に輪奈を切ります。実際の作業の様子を見に行きましょう。」

広大な工場を縫うように進み、ビロード製作場の一角に辿り着いた。ギラリとした針金が隙間なく並ぶ。その上に貼りついたような薄茶色の文様。シュッ、シュッと職工の曽根さんが鋭利な刃物で針金の上を横になぞる。するとみるみるうちに文様が濃い茶色へと変わっていく。輪奈を切ることで糸の束が開き、カット面の色が濃く見えるのだ。この工程で最も注意しなければならないのは刃の状態だという。

「すぐに刃がダメになるので、頻繁に研がなければなりません。刃が今どういう状態なのか。音と手の感覚が頼りです。」この作業に携わって4年目という曽根さんの刃物は先輩から大切に受け継がれたものだ。「一筋でも変な切り方をすると段差が出来て表面の光沢が変わりますからね。それひとつで失敗作ということになります。」と徳倉さん。ピンと張った空気の中で淡々と作業が続く。 針金を通して製織された生地を刃物でカットし、針金を引き抜いていく。カットされた部分が毛羽立って厚みを増す。 針金を通して製織された生地を刃物でカットし、針金を引き抜いていく。カットされた部分が毛羽立って厚みを増す。 製織の様子。タテ糸に引っかからないように細い管の中に針金を入れ、すばやく管を引き抜き、タテ糸に通す。その後、通された針金をヨコ糸と共に織り込んでいく。 製織の様子。タテ糸に引っかからないように細い管の中に針金を入れ、すばやく管を引き抜き、タテ糸に通す。その後、通された針金をヨコ糸と共に織り込んでいく。 「ちょうど今、製織作業をご覧いただけますよ。」 工場をさらに奥へ進むと、カタカタと一定のリズムを刻む大きな織機が現れた。奥行4メートルほどあるだろうか。折幅30cmほどの織物を織り出すための巨大で複雑な装置。それを操る小柄な職工の富田さんは「針金を使うのは普通の織物と違って織り込むときの調子が難しいですね。でも、もう慣れましたよ。」とほほ笑む。針金を通す、ヨコ糸の杼を通す、色糸で一部に文様を入れる...。複雑な工程が厳密な秩序で進んでいく。一糸たりとも後戻りができないなかで。 紋ビロードの帯。土台となるサテン織の上に毛羽と輪奈を組み合わせることで、複雑な文様が形づくられる。 紋ビロードの帯。土台となるサテン織の上に毛羽と輪奈を組み合わせることで、複雑な文様が形づくられる。 紋ビロードは光の反射によってその表情を変える。だからたとえ単色であっても織物の装飾性は驚くほど豊かだ。19世紀後期はレースやリボンに覆われた装飾過多のドレスが全盛であったが、ウォルトはビロードの特性を最大限に生かすためにあえて装飾を抑えたドレスを多く残している。様々な工程と人々の手を介して織り上げられる表情豊かな織物。彼もまた、この趣ある織物に見せられた一人だったに違いない。
(文中に出てくる所属・肩書等は、取材時のものです)
© The Kyoto Costume Institute
(KCI広報誌『服をめぐる』第3号 2016年3月発行より)
京都服飾文化研究財団(KCI)

京都服飾文化研究財団(KCI) 京都服飾文化研究財団(The Kyoto Costume Institure, 略称KCI)は、西欧の服飾やそれにかかわる文献や資料を体系的に収集・保存し、研究・公開する機関です。現在18世紀から現在までの服飾資料を約13,000点、文献資料を約20,000点収蔵。それらを多角的に調査・研究し、その結果を国内外の展覧会や、研究史の発行を通じて公開しています。
https://www.kci.or.jp/

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